人気記事

2021年5月30日

ケーキの角度。Change the Angle of View

真上から見たケーキは、図形の様。。。
お花のケーキ

注文者は、春子
必要な材料を書き出したのは、サブローさん
材料を買ってきたのは、
土台を焼いて、特製いちごクリームを作って、塗るところまでは、サブローさん
飾りつけは、
端切れや残ったいちごとブルーベリーを食べる役目は、春子太郎

家族みんなで作ったお花のケーキ
(…といっても、一番分担の多いのは、サブローさんだけど~)

春子8歳になりました~。

お花のケーキは春子の8歳の誕生日ケーキ

このお花のケーキ・・・実は、実は、去年の誕生日ケーキと飾りつけが同じ。。。
でも、どうやら誰も覚えてない様子。

今年は去年よりも、いちごの量を少し増やして、立体的にしてみた。
簡単で豪華に見える飾りつけなので、おすすめ。

春子は8歳。
私も母親8年目

丸7年間も、母親やってたら、もう一人前で当たり前。
なーんて、わけにはいかないのが現実。

その現実を受け止めるために、「丸7年」という表現を、「小学2年生」と置き換えてみる。

「小学2年生」というと…できるようになったことはたくさんある一方で、もっとこれからいろいろな経験を経て、学び、悩み、考え、笑い、泣き、さらに成長していく過程にある。

これは、春子だけでなく、私についても、全く同じことだなぁ…とつくづく思う。

母親8年目は、私の場合、母親8年生では決してなく、母親学校小学2年生と言った方が、断然合っている。。。

母親学校小学2年生の宿題は、春子と私の違いを「おもしろがる」ことかな。

考えの違い。
好き嫌いの違い。
感性の違い。
意見の違い。
取り組み方の違い。
得意不得意の違い。
表現の違い。
などなど

自己分析してみると、どうも私は、春子と私の違いを、素直におもしろがれていない。
おもしろがるべきところなのに、なぜか違いに直面しては、ショックを受けている気がする。

もちろん似たところもたっくさんある、あり過ぎるくらいにあって、でも、全く同じではなく、違いもいっぱいあって、どこがどう同じで、どこがどう違っているか、頭ではよーーーく知っているにも関わらず…なぜか、違いを目の当たりにすると、ショックを受ける自分。

なぜだろう??
なぜだろう??
自分でも不思議でならない。

例えば、サブローさんと私は、似たところもたくさんあるけれど、それでも、とても違っている。そして、その違いがとても「おもしろい」と、心から思える。

とても親しい友達も、似たところもたくさんあるけれど、それでも、とても違うところをみつける度に、違いにワクワクするし、「おもしろい!」と素直に思える。

でも、相手のどんな違いも「おもしろい」と思えるかと言うとそうではない。
道徳的な価値観の違いの中には、おもしろがれない違いも確かにある。
そういう違いのある相手とは、自然に一定の距離ができ、近くなることが少ない気がする。

そう考えていくと、とても親しい間柄の場合は、自分と相手との違いを、素直に心から「おもしろい」と思えていることに気づく。

そして、違いが何であれ、その違いは、私からみると、自分にはない相手の長所であり、尊敬すべき部分となっている。

念のため、今、書いている「おもしろい」は、決して、馬鹿にして笑うような感情の類ではなく、「素敵」と感じる感覚に近い感情。


親子で考えてみると…どうかな?

母と私は、似たところが、とてもとてもたくさんあるけれど、それでもやっぱり違っているところがある。
ああ、いつだったかはもう覚えてないけれど、違いに気づいて以来、その違いを素直に「おもしろい」と思えない時期も、確かに長い間あった。。。。。
違いが「おもしろい」と思えるようになったのは、いつだっただろう?
いやいや、一度に全部の違いが「おもしろい!」に変わったわけではなく、最初から「おもしろい」と思えていた違いもあって、それから月日を重ねて、「おもしろい」と思えなかった違いも、なんだか少しずつ少しずつ「おもしろい」と思えるようになってきて、そうやって、だんだんと増えてきた気がする。

そして今では、いろんな違いを、どれもこれもおもしろがれるようになったと思う。
ただ、どれもこれもおもしろがれるようになったのは、実は…つい数年前かもしれない…。

母はどうだろうか?
母は、母自身と私の違いを、最初からおもしろがれたのだろうか?
まぁ、最近は、面白がってもらえているのではないかと思うのだけど。

一方、父と私もまた、似たところが、とてもとてもたくさんあるけれど、これまた違いもたくさんある。
ただ、どういうわけか、父との違いは、物心ついたころからおもしろく感じていたように思える。

実は、太郎と私も、似たところと違うことろが、当然あるけれど、どういうわけか、太郎との違いはおもしろいと思えることが多い。

これは、、、、母と娘という、関係上、切っても切れない、通るべき道なのか?
いや、私が、母と娘に過敏過ぎるのか?

似たところがあまりにも多いために、つい他の全部も同じであることを、心の奥の潜在意識が期待してしまっているのか?

こうやって客観的に考えてみると、なんてもったいない時間の過ごし方をしているのだろうか?と思わずにはいられない。

似たところは、似てる!とおもしろがって楽しみ、似てないところは、似てない!とこれまたおもしろがって楽しんだ方が、よっぽど互いに、幸せな時間を過ごせるというもの。

春子は、いずれ思春期を迎え、今感じている以上に、私と似たところに気づき、同時に、私との違いに気づくだろうと思う。
そして、その違いは、きっとすぐには、「おもしろい!」と楽しめないだろうと思う。
そして、「おもしろい!」と思えない時期は、かなり長ーい期間続くかもしれない。

でも、それは自然なことだから、じっくり時間をかけていいと思う。

ただ、同じ「小学2年生」と言えども、一応、人生8年目と、人生うん十うん年目との違いは…少しくらいは醸し出しておいた方が、面目が保てるかもしれない。。。

できることなら、人生うん十うん年目の私が、一足早くおもしろがって過ごしていれば、きっと互いにおもしろがれる日がくる…とそんな気がする。

似ていることは似ているまま。
違っていることは、違ったまま。
そのどちらの事実も変わることはなく、変える必要もなく、変えられるものでもない。

同じ事実を、少し角度を変えて眺めてみるだけのこと。

ケーキだって、少し角度を変えて眺めると、少し違って、立体的に見えたりする。
この角度から眺めると、ケーキっぽく見える。

どちらが「おもしろい!」と思えるか。
どちらが「おいしそう!」と思えるか。
「おもしろい!おいしそう!」と思える角度がきっとある。
一つでなく、いっぱいあるかもしれない。
眺める角度を変えるのは、自分次第。

春子。
お母さんも、「母親学校小学2年生」の宿題を頑張ります。
ときどきお母さんが間違えても、「また今度頑張ったらいいよ」とどうか言ってちょうだいな。。。

8歳のお誕生日おめでとう!