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2021年5月11日

オーガンジーのカード。Organdy Card

先週に日曜日(5月2日)に、春子のFirst Communionというカトリックの儀式があった。
First Communionとは、日本語で「初聖体拝領」という。

私自身はキリスト教の洗礼は受けていないし、学校もキリスト教系の学校ではなかったので、「初聖体拝領」という日本語には馴染みがない。
でも、敬虔なカトリックの家庭に生まれ育ったサブローさんと結婚してからというもの、生活の中に、カトリックの行事がしばしば登場するようになった。

その一つが、このFirst Communion

初めてこのFirst Communionを知ったのは、2009年3月に日本からアメリカに引っ越ししてきて間もない2009年4月で、今はもう大学生になっている姪っ子が、小学2年生の当時、このFirst Communionを受けた時。

当時書いた日記を読み返してみると、いろいろ調べている自分に出会い、過去の自分に少し感心。

抜粋すると…
・聖体とは、キリストの体
・パンは、キリストの体(つまり聖体)の象徴とされる。英語でEucharist
・ワインは、キリストの血の象徴とされる。
・そのワインを入れる杯は、聖餐杯と呼ばれる。英語ではChalice
・カトリックのミサでは、初聖体拝領を受けた子供および大人は、パン(白くて丸いお煎餅のような形)をいただく。
・カトリックのミサでは、初聖体拝領を受けた大人は、ワインもいただく。
・幼児の時にカトリックの洗礼(baptism)を受けた子供は、カトリックについて勉強をして、「聖体拝領」について理解できる年齢になって、初聖体拝領を受ける。
・初聖体拝領を受ける年齢は、通常小学校2年生くらい。(姪も小学2年生)
・つまり、「初聖体拝領」とは、「初めてキリストの体の一部の象徴とされるパンとワインをいただく」こと。
(中略)
・Eucharist(=キリストの体の象徴であるパン)
・Chalice(=キリストの血の象徴であるワインを入れる杯)
ということで、写真の上の丸いのがEucharist、下の杯がChalice。
春子に贈ったお祝いのカード

2009年以来、何度何度も姪っ子たちのFirst Communionのお祝いに、このパンと杯のデザインのカードを作って来た。いろいろ調べて、日記に書いてはいるけれど、実のところはよくわかってなくて、その重要性が実感できないまま「お祝い」をしてきた…ように思う。

そして、実は今もなお、よくわかっているとは、到底言えない。。。
私は特定の宗教を深く信仰しているわけではないし、カトリックの洗礼を受ける気持ちもないものの、春子が深く関わるようになるからには、私ももっと勉強して知っておく必要はあるのかもしれない。

ただ、こうやって、自分の子供が未知の宗教に深く関わって行くことに対しては、私なりに、それなりに納得はできている(つもり)

生まれたばかりで、信仰の意思表示もできない赤ちゃんへの洗礼(baptism)については、もし私たち家族が日本に住んでいたら、きっと深く考えることなく、神社で百日のお祝いをしていただろうから、同じことかな?と安易に納得。

毎週のミサについては、日本に帰省すれば、必ず一緒にサブローさんも一緒に近所の神社にお参りし、手を合わせ、神社で子供たちの七五三のお祝いをし、仏壇お墓に手を合わせてお経を唱えるので、これもまぁ、同じことかな?とそれなりに納得。

私自身、自分の意思とは関係なく、日常として、仏教や神道が溶け込んだ生活・文化の中に生まれ育ったので、その点をサブローさんの場合に置き換えてみると、いろいろなことが「なーんだ、同じことか」と思えてくる。

春子だって、春子が大人になった時、自分が何を信じるかは、自由に選んでよいわけだし。

そして、この国で大きくなっていく春子にとって、もし人の道に外れるような誘いや、場面に出会った時に、何か道しるべになるものがあった方がいい…と思ったのも事実。

それでも、サブローさんと出会ったばかり頃は、カトリックのあまりの「宗教色」の強さに正直驚き、受け入れられず、それまで考えたこともなかった「宗教」について、二人でいろいろ話し合ったりもした。
そんな話し合いをするまでは、サブローさんも、特に意識したことがなかったらしい。

そして、私たち2人が出した結論は、私たちが幼い頃からそれぞれに接してきた「宗教」は、それぞれの生活に溶け込んだ「文化」であり、もはや「宗教」という意識さえなかったということ。
その「文化」は、つまりは「道徳」であり、それはまるで「言語」の違いのようなもので、異なる方法で、同じことを説いているということ。
つまり、それぞれに目指していることは、結局のところ同じなのだ、というのが私たちの最終の結論。

とはいえ…まぁ、そんな私たちの結論には賛否両論あるだろうし、どんなものにも、排他的で寛容さに欠けた極端過ぎる解釈も存在するわけで、そういった解釈には、またいろいろと問題も多いという事実も、様々な身近な場面で感じるところではあるけれど、幸いサブローさんは、解釈上矛盾する宗教であっても共存できる、共存していてよいという考えだし、排他的で寛容さに欠けたある意味冷淡な解釈は本末転倒で、むしろ本来の道を逸脱しているという考えなので、私はとても救われている。。。

また、サブローさんは、私がカトリックの洗礼を受けたければ受ければいいし、受けなくってももちろんいいし、そんなプレッシャーをもし今後感じても気にしなくていい、と最初から言っているような人なので、、、、結婚できたのだろうなぁ…と思う。

ちなみに、この国では、サブローさん以外の人とは「宗教」について、話し合うなんてことは私には到底できない。


あら…なんだか今日は、話が妙な方向に進んでしまった…。
さて、、、、春子へのお祝いのカードは、上に白いオーガンジーを貼って、綴じ糸にガラスのビーズをつけてみた。

今回、春子が来たドレスは、2009年に私が初めて参列した姪っ子が来た白いドレス。
義姉の旦那さんの両親からのプレゼントの生地を使って、義姉が作った特別なドレス。
靴は、私が結婚した当時5か月だった、姪っ子の白い靴。
ベールも、義姉の手作り。
ティアラは、義姉の親友の手作りで、義姉の誕生日にプレゼントされたもの。 

みんなの想いに包まれた春子。
そんなみんなの想いで、春子が明るい未来に導かれますように。。。。

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