少し前にあった姪の結婚式。
結婚したのは、サブローさんの4番目の姉の長女。
リングベアラーとは、結婚指輪を運ぶ役目で、ちょうど太郎の年齢である、5歳前後の男の子がすることが多い。
指輪を運ぶ際には、小さなクッションの上に指輪を載せるのが一般的。
でも今回は、ちょっと異例で、小さな木の箱に入れて運ぶことになった。
その箱は、花婿とそのお父さんが作ったもの。(サブローさんのいとこにかなり手伝ってもらったらしいが…)
そして、その箱に使われた木は、他界したサブローさんの叔父宅の納屋に残っていた木材の一部。
そして、その箱の中に敷くための、ベルベットの色を選んだのは花婿で、ベルベットを敷き詰めたのは、花嫁の母親であるサブローさんの姉。(私もちょっとだけおお手伝い)
という風に、できることは自分でするのが、アメリカ流なのか、サブローさんの家族流なのか、いつもみんな、できることは自分でする。
披露宴の食事は、さすがにケータリングだけれど、花婿花嫁の祖父母・両親・ブライドメイド・グルームズマン・リングベアラー・フラワーガールが胸に付ける生花のコサージュは、花嫁の家族の手作りで、披露宴会場のテーブルに置く花は、義姉たちが奮闘。
結婚披露宴の司会は、花婿のお父さん。
という具合に、結婚式に必要なことで、できないことはプロを(自分で)探してお金を払って依頼するけれど、作れるものは自分たちで作り、できることは自分たちでする、ということは、全く特別なことではない。
中でも極めつけは、花嫁のウエディングドレス。
なんと、花嫁の母(サブローさんの姉)の手作り。
花嫁本人と一緒にデザインを考えて、イメージに合うレースを探して注文し、オフホワイトになるように自分で染めたレースを使って作られたウェディングドレスを来た姪は、それは、それは、、、、、ため息が出るほど素敵だった…。
花嫁の母校のカトリック教会で行われた結婚式で、晴れて姪っ子は結婚。
そして、場所を移して結婚披露宴。
みんなが笑顔で、楽しくて、感動的で、温かくて、、、、とても幸せな気分になれた。
そして、自分自身の結婚式の日のことを思い出した。
もう15年ほど前になる、私たちの結婚式のあの日、披露宴が始まってから、隣に座っているサブローさんに「たぶん花嫁の挨拶をすることになるので、挨拶してね」といきなり言われ、その数分後にマイクを渡された私は、「日本語でもいいよ」と言われたので、日本から来てくれた両親にも分かるように、日本語で挨拶をした。
当時はまだ日本に住んでいたのだけど、その挨拶の中で「2年後にはミネソタに来て住むことになっているので、どうぞよろしく」的なことを話したら、誰の目にも明らかな程に、母のテンションが思いっきり下がってしまった。。。。
サブローさんが数年後にミネソタに戻るというのは、出会った頃から分かっていて、私とサブローさんの間では結婚する前から話し合っていたことだったけれど、いつ私の両親に切り出すか…というのがなかなか難しく、「まぁ、私がタイミングを見つけて話すから」とずっと先延ばしにしていた。
そして、私は、結婚披露宴の席で「挨拶してね」と言われてから、マイクを握るまでの数分間で、もう他には何も思い浮かばず「今こそが絶好のタイミングだ」と思ってしまった…。
あの時、私の母ともう一人、動揺を隠しきれなかったのは、マイクを握る私の隣に立っていたサブローさん。
サブローさんが、かなり動揺した様子で「ちょっと一旦通訳するから…」と、私からマイクを受け取り、日本語の分からない親族友人のために、私が日本語で話したことを英語に訳したサブローさん。
そのサブローさんの日本語訳と、その補足説明が、予想外に、、、みんなの涙を誘ってしまった…。
…と、そんなことを、思い出したりした。
今は、娘が元気で幸せに楽しく暮らしているのが一番と、理解をしてくれている両親。
今更だけど、あの時は、びっくりさせてごめんなさい。
でも、元気で幸せに楽しく暮らしていますので、ご安心くださいね。
姪っ子のウエディングドレスに使ったレースを元にしたデザイン。
ご結婚おめでとう!