写真を整理していて見つけた、数年前に、サブローさんの実家の庭から撮った夕暮れ時の空の写真。
実家の庭は、いつも素晴らしい空を見せてくれました。
実は、サブローさんの実家は、今年5月に売却し、今は他の人が住んでいます。
60年住んだ家を手放すことを決めたのは、サブローさんの両親自身。
その理由は、高齢になってきたため、実家のそばの広い空き地や森の手入れや管理、地下の洗濯機までの洗濯物を持っての階段の上り下り、家のメンテナンス。そのどれもが、二人にとって負担になってきたためです。
他にも、義父母の心の中にはもっとたくさんの理由があったかもれませんが…。
手放すことに決めたと聞いたのは、数年前。
それを聞いて、サブローさんの兄姉とその家族は、私を含め、みんなとてもとてもショックでした。
あの家で、何度、誕生日会が開かれたか。何度、季節の行事を祝ったか。
あの家で育ったサブローさんの兄姉にはかないませんが、私にとっても思い出深い家です。
私が、初めてミネソタを訪れて泊まった家。
窓の外に、シカが来たり、遠くにコヨーテが見えた家。
私の結婚式の時に、日本から来た私の両親が泊まった家。
結婚式の後の、記念撮影をした家。
10年前に日本から引っ越しして、半年間住んだ家。
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10年前の3月3日夜中。
サブローさんの両親は、冬の間アリゾナに住んでいるので家は留守。
まだ雪がある風景の中、日本から引っ越して来た、サブローさんと私は、ミネアポリスの空港まで迎えに来てくれた三番目の義姉の車を見送り、サブローさんの実家のドアを開けました。
食卓の上には、義姉が用意してくれた花瓶に生けた花と、私たちのために姪が作ってくれたブラウニー。
その日は、成田空港から飛んで、アトランタで入国したものの、通常の入国審査とは違い、私の「移民ビザ」の手続きがあり、手続きの順番待ちの間にミネソタへの乗り継ぎ便を逃し、他のミネソタへ向かう便は全て満席。
キャンセル待ちのリスト(Waiting List)に名を連ねて、混雑する空港で空いている椅子もなく、疲れ果てて床に座って数時間を過ごしました。
夜9時過ぎだったか、幸運にも最終便の出発間際に名前を呼ばれ、最後尾の席に滑り込み、ミネソタに着いたのは夜中の12時近かった気がします。
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私がアメリカに「移民」として初めて入国した、あの日のことを思い出す時、必ず、あの家のドアを開けて入ったリビングルームの情景がはっきりと蘇るのです。
手放すことを聞いてからの数年間は、もうこれが最後かも、と思いながら、季節の行事ごとに、できるだけサブローさんの兄姉と共に、実家に集合しました。
そして、ついに明け渡しの日が決まり、明け渡し直前の3か月間は、ほぼ毎週通って、引っ越しの手伝いや、片付けをしました。
そして、明け渡し直前に、引っ越しの準備で集まった家族で、春子の誕生日会をしました。特別な誕生日会になりました。
義父母は、今、高齢者専用のアパートに住んでいます。
遊びに行った際、サブローさんが、「もうここの暮らしには慣れた?」と聞くと、
「ここの暮らしは、運動不足になるなー」とお義父さん。
「慣れてきたけど、やっぱり台所は恋しいわ」とお義母さん。
思い出は、しっかりみんなの心の中にあるけれど、やっぱり私たちにとっても恋しいのが本音。
アパートは新しく、とてもきれいです。
家具は、全て前の家で使っていたものなので、アパートの部屋は、前の家のミニチュア版のようです。
ご近所さんは、すべてアパートの住人。
義父母は、アパート内の読書クラブに参加しているそうです。
アパートには、パーティールームも、プールもあります。
誕生日でもローソクに火をつけてはいけない規則があり、コンロも電気コンロで、火を使わないので、安全です。
ごみ捨ても、一階に降りなくても、廊下の端まで行けば、捨てられます。
一階に降りるときには、エレベーターが使えます。
でも、、、「快適さ」や「住み心地」って、何で決まるのだろうか?と、よく考えるようになりました。