春子の針仕事。
2作目。
(一作目はこちら)
休日、太郎の昼寝中。
春子「なんか、つくりたぁーい」
私「何作る?」
春子「わからなぁーい」
いつものやりとりの後、私がいくつか提案して、春子が首を縦に振ったのがこちら、フェルトで針仕事。
バレンタインデーのすぐあとだったせいか、ハートがいい!というので、フェルトのハート重ね。
ハートに切ったフェルトを重ねて縫って止めただけのシンプルなものだけど、色合いが雑貨ぽくてかわいい。
何かに縫いつけてやりたいけど、適当なものが見つからない。
また小さな額に入れて飾ろうかな?
縫い目はかーなり大きいけど、それでも春子があきらめずにつくった、かわいい春子のハート。
・・・春子のハート・・・。
実際の春子のハートはとても繊細で、ちょっと切ない絵本は、何度読んでも必ず号泣。
クラスメートが先生に叱られていると、自分が叱られたかのように打ちのめされる。
私の顔色や、機嫌や、ストレスを敏感に感じ取って、自分のストレスにしてしまう。
ストレスのたまった春子の心が引き起こす行動の数々は、、、、私のストレスに直結する。
春子のストレスが溜まると、太郎にも影響がでて、太郎も不安定になる。。。。そして、ますます私のストレスが溜まっていく。
ストレスの悪循環。。。。
これは断ち切らねば!と思い立った。
今までは、自分の溜まったストレスを無視して、無理やり「いい親」になろうとしていたけれど、これこそが、またストレスを生む・・・というさらなる悪循環。
よって、溜まったストレスを解消しなくては!と思ったものの、、、、
・・・ストレス解消法=手作り、散歩、掃除・・・・どれもこれも、落ち着いて満足にする時間的ゆとりがない。そして、またストレス。
こうなったら、ストレスは溜めないことにできないだろうか?
そもそも、何が原因なのか?
そんなことを起きてすぐに考えながら、ある日一日が始まった。
すると、、、見つかる見つかる。
自分では自覚してなかったイライラの小さな種。
実は、自分で知らず知らずのうちに、小さなストレスを趣味のように溜めていたらしい。。。
朝。あー眠い→ストレス
洗い物がシンクにあるのを見る→ストレス
寒いけど着替えなきゃ→ストレス
手が荒れて痛い→ストレス
温度計を見て、外気温=7℉(-13.8℃)→ストレス
乾いた食器が山盛り。しまわなきゃ→ストレス
無意識のうちに溜めていた、ストレス探しをやってみると「ああ日常のこんなことにも、小さなストレス感じてる自分がいる」と、なんだかばかばかしくなって、見つける度につい笑ってしまった。。。。
そんな細かいことをいちいち気にしなければいいのだけど、気になってしまうものはどうしようもない。
ただ不思議なことに「あ、これ小さなストレスの元になってる」と気づいた時点で、気持ちの中で消化されてしまい、ストレスとして加算されなくなった。
なぜ?
無意識に不快に思うとただそのままストレスとして溜まっていくのに、不快=問題だということをわざわざ敢えて意識すると、それと同時に「問題解決」をイメージしている自分がいて「これは、解決できる」「こうすればさらに改善できる」という解決と改善の楽しみが生まれている。。。。という気がする。
あ、、、、これも「ものごとの良い面を捉える」につながっているかも・・・!
ともかく私が無意識のうちに溜めていた小さなストレスの種を、自覚し意識するだけで、心が落ち着いて一日過ごすことができるようになり、それと同時に春子と太郎のストレス行動と不安定さが、目に見えて落ち着いてきた。
私のハートがぽかぽかすると、春子のハートもぽかぽかして、太郎のハートもぽかぽかして、家の中は春の陽気みたいな空気になって、仕事でストレスを溜めに溜めて帰宅したサブローさんのハートも思わずぽかぽか。
ハートぽかぽかの好循環。
このフェルトのハート。
やっぱり額に入れて見えるところに飾ろう!