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2021年5月17日

木の洞。Tree hollow

湖の近くで見つけた「木の洞(うろ)

「樹洞(じゅどう)」

写真では大きさはわからないけれど、大人の背の高さほどもある洞(うろ)。

英語では、hollow [ハロウ / hɑː.loʊ]という。
この単語、絵本などでもよく登場する。

ところで、木の洞ってどうやって、、、できるのか?
と思ったのは、去年のこと。

去年、家族で散歩に行った、フォートスネリング州立公園でも、遊歩道脇に大きな洞のある木がいくつかあった。
フォートスネリング州立公園内の木の洞
木の洞を見つける度に、みんなで中を覗いてみたり、大きな洞の中に、春子と太郎が中に入って記念撮影をしたりした。

そして、春子と太郎が、どちらともなく「この穴はどうやってできたのか?」と知りたがり、、、、それに答えようとするも・・・
「それはね、この穴は、、、、、、一体、どうやってできたんだろうねぇ?
と一緒に考えることになり、、、家に戻って早速、調べてみたものの、二人が理解するようにうまく説明できたかどうか…記憶にない。。。

今までの人生で、何度も木の洞には出会ってきたはずなのに、「どうやってできるのかな?どうしてできるのかな?」と思ってみたことがなかった自分が、少し恥ずかしい。

そこで、今回、湖の近くで木の洞を見つけたのを機会に、もう一度、説明をじっくり読んでみた。

以下、Wikipedia「樹洞」洞の形成より抜粋(外部リンク)
樹木の幹は、表面に樹皮があり、その下に皮層や師部・形成層がある。それより内側の木部の細胞は、水を吸い上げたり木を支えたりといった働きは担っているが、細胞そのものは形成層の内側を除けば大部分がすでに死んだ物である。

太い枝が折れた場合、その断面の表面部分は生きた細胞から成るので次第に傷が埋まって再生が行われる。しかし断面の中央部分はそのままになり、場合によってはそこから菌類などが侵入して分解が始まる。その結果、太い枝の内部に空洞を生じ、これが木の洞(うろ)になるのである。

じっくりと読めば意味も分かって、イメージも湧くものの、これを、7歳と4歳が理解できる日本語に翻訳するのが、難しい


まず、、木が折れたり、傷がついても、春子や太郎がひざこぞうをすりむいても自然に治るように、木も生きているから傷が自然に治るんだよ~。(と、ここまでは分かってもらえるかな?)

でも、木の真ん中は、自然に治る力がないの。(なんで?ってたぶん、言うよね…)

それで、そこに、木を腐らせる菌(←この「菌」をどう説明するかが難しい!)がやってきたら、(どこから来るの?って、絶対に聞かれる…)、真ん中だけ腐っちゃうの。(←そもそもこの説明で合ってるのかな?)

それで、腐ったところは、木がなくなっちゃうわけ。。。(腐るとなぜ、なくなるのか?
どこにいくのか?って思うだろうなぁ…。木を腐らせる菌の勢いがついて、猛威を振るって木を枯らしてしまうってことはないのかな?)

・・・と、二人に説明することを想像してみただけで、なんとも頼りなさが溢れてしまう。

しかも、説明(の想像を)しながら、自分の中にさらなる疑問が湧いてくる。
分かったようでいて、分かってないってことだなぁ。

でも、自然の再生する力生き延びるために備わった力というのは、すごい。

あんなに大きな洞を作っておきながら、見上げるとしっかりと枝を広げて、青々とした葉が茂っている。

ところで…この「再生」という言葉を書いていて、頭に浮かんだことがある。

先週、1年ぶりに、ミネアポリスのUnited Noodles(アジア系食材店)に、太郎と二人で行ってきた。そして、そのついでに、これまた1年ぶりに、その近くの一般の食料品チェーン店で買い物をした。

なぜ、1年ぶりかというと、その一般の食料品チェーン店というのは、まさに、昨年の5月に、ミネアポリスで暴動が起こった際の、舞台となった現場と目と鼻の先。
その暴動の際には、商品は略奪され、店内は荒らされ、、、その後、長い間臨時閉店を余儀なくされていた。

今年になって店が再開した後、サブローさんは、「人けのなさ」がむしろ買い物しやすい…と言って、時々利用しているのは知っていたけれど、私は、太郎と二人だけでその辺りに向かう勇気は出ないままだった。

そして、先日、ついにどうしてもUnited Noodlesで買う必要のあるものがあり、途中で、暴動の現場だったところ車で通り、ついでに、現場の傍のお店で買い物もしてきたのだけど…
すっかり、周辺の風景が変わってしまっている。

いつも目印にしていた建物はなくなり、周囲の店の窓にはまだ分厚い木の板が打ち付けてあり、放火された警察署の建物にも、あちこちに鉄板のようなものが打ち付けてある。

できれば長居はしたくない…と、つい思ってしまう雰囲気が漂っている。

一旦お店の中に入ると、前より確かに客は各段に少ないものの、その分静かで、穏やかで、ほっとできる。略奪や破壊行為の後、店内は一新されて、以前よりもきれいで新しく、どれもこれもピカピカな感じ。
古かったショッピングカードも、どれも新しい。
その整ったきれいさ、新しさだけでなく、店員の対応までもが、以前とはずいぶん違っていて、少しばかり安堵を与えてくれる。

とはいえ、店から出ると、やはり「長居したくない」という雰囲気に包まれ、そそくさと家路についた。

周辺の店も再開したところも多く「再生」は、確かに進んでいるのだと思う。

…でもやはり、もうしばらくは、あの辺りでの買い物は控えることにする。

決して遠くはない地域の「再生」を願いつつも、やはり私は、まずは自分の身を守ることを選ぶ。。。直観で感じるあの「長居したくない」という雰囲気は無視できない。

大きな空洞を作りながらも、枝葉を広げて成長する…。

いつの日か安心して出かけられる場所になりますように。

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