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2020年7月11日

フォート・スネリング州立公園。Fort Snelling State Park

州立公園の年間パス(Minnesota State Park Permit)を購入したので、せっせと使わなくては!と、早速、フォート・スネリング州立公園(Fort Snelling State Park)に行ってきました。

まずはピクニック・アイランド(Picnic Island)の傍まで車で行ってミネソタ川(Minnesota river)と、Mendta bridge(=ハイウェイ55)の見える場所で、ピクニック

真昼間だけど、平日だからか、私たちだけで、他には誰もいない。


川の傍のピクニックテーブルに座って、クラ―ボックスに入れてきた、梅干しおにぎり・短冊切りにしたニンジン・ハマス・サラミ・ストリングチーズをみんなでむしゃむしゃ。

そのあとは、ピクニックをしたところから見たら、川の対岸になる駐車場に移動。そこへ車を停めて、パイク島(Pike Island)に向けて散歩。

遊歩道が広い範囲で整備されていて、犬の散歩をしている人や、子供連れで散歩をする人たちもちらほら。

ついにパイク島にかかる橋を渡り、パイク島内を散策!と思ったら…。
春子と太郎が足が痛いという。

もう疲れてしまったか!?と思ったら、なぜか二人とも運動靴ではなく、クロックスを履いてきていて、二人とも足に靴擦れができている。。。

絆創膏を貼っても、汗ですぐに取れてしまい、ついに途中から太郎を抱っこすることに…。

暑い日だったこともあり、太郎を抱っこしては長距離歩けないので、今回は、短時間の散歩で切り上げて帰路につく。

ということで、結局あっという間に家に戻ったわけですが…もう少し、この州立公園について書いててみます。


この散歩で少しだけ歩けたパイク島
このパイク島の辺りで、ミネソタ川はミシシッピー川と合流している。

二つの川が合流するこの地域は、ネイティブアメリカン(インディアン)部族の一つであるダコタ族が住んでおり、多くの悲しい歴史のある場所でもある。


1851年のアメリカ政府とダコタ族との、不具合の多いアメリカ政府に有利な条約締結。
その条約中にあるダコタ族の得るべき権利の不履行。
結果的に、ダコタ族の土地と伝統と今までの生活基盤は奪われてしまう。
1862年には、アメリカ政府とダコタ族との紛争、ダコタ戦争が起こる。
ダコタ戦争後、ダコタ族の収容所が設けられ、劣悪環境から、多くのダコタ族の人々が亡くなる。
さらに、ダコタ族は、故郷ミネソタから他の州に強制的に移されてしまう。

公園内には、ダコタ族の収容所の記念碑もある。

それから、もう一つ、肝心なことは、この州立公園の名前にもあるFort。
つまり、要塞。

1805年に、アメリカ政府とダコタ族が結んだ、不具合の多い協定の中に、アメリカ政府側のの要塞(Fort)建設についての含まれており、1819年建築が開始。
1825年に要塞完成。これが、スネリング要塞、つまりFort Snelling。
1858年、ミネソタが、アメリカ合衆国の32番目の州となり、要塞は一旦閉鎖されたものの、1861年に始まった南北戦争で再び使用が開始され、その後もアメリカ軍の施設として使用され続け、第二次世界大戦後の1946年に役目を終える。

要塞は今も残っており、現在は、学校の遠足等でも訪れる歴史を学ぶ場所となっているみたいだけど、実は、恥ずかしながら私はまだ崖の上にある要塞には行ったことがない。。。

アメリカ政府のネイティブアメリカンの土地への侵略の歴史。。。。
要塞・戦争の歴史。

今書いてみたのは、その歴史のほんの一部分だけだけど、ここに、根深い、知っておくべき歴史があるということが、少しでも伝わっていますように…。


フォートスネリングの歴史について詳しくはこちら(外部リンク:Minnesota Historical Society)
フォートスネリング州立公園の利用法・地図等についてはこちら(外部リンク:Minnesota Department of Natural Resources)