2018年夏の瀬戸内海 |
春子と同い年のいとこのいる、義姉宅に行ってきた。
結構暑い日で、子供たちは水着を着て水遊び。
大人たちは子供たちがはしゃぐのを眺めながら、雑談。
夕方、義姉夫妻がごちそうしてくれた、コールスローと煮豆、グリルで焼いたソーセージやハンバーガーを裏庭で食べて、また雑談。
アメリカという国に住んで11年。
でも、まだまだ知らないことだらけのアメリカ。
サブローさんがいて、春子と太郎がいて、平穏に過ごす日々。
アメリカに住むことにはすっかり慣れたけれど、馴染めたか?というと、どうなんだろう?
馴染んでいる…とは実のところ、言い難い…。
果たして、馴染むというのは、どういうことだろうか?
その社会と文化の中に溶け込んで、自分自身が自然体でいながらも、心地よくいられる…ということ?かな?
では、私は、日本には馴染んでいたのだろうか?
つまり、日本の社会と文化の中に溶け込んで、自分自身が自然体でいながらも、心地よくいられたのだろうか?
そう思うと、日本の社会と文化にも、馴染めないものがいっぱいあったように思う。
でも、自分の身の廻りの社会と文化は「いやおうなしにある『普通』」で、他の「普通」の存在を知ることもなく、馴染めない環境でも、とりあえずは生き延びるために、少しでも心地よく居られるように、自分自身を演じ分ける術を身に着けていた…という気がする。
それが、馴染むっていうことなのかな?
生まれ育った日本を離れ、アメリカで暮らすことで、日本とアメリカの、それぞれのすばらしさ・住みやすさ・馴染みやすさを発見し、同時に、日本とアメリカの、それぞれの問題点・住みにくさ・馴染みにくさを発見し続けているけれど、、、、
アメリカで、馴染みにくいことに直面したとき、どう自分を演じたら心地よくいられるのか?なかなかうまく見つけられない。
見つけても、うまく演じきれない。
ときどき、ひどく空回りしている自分がいたり、ひどく疲れ果てている自分がいる。
アメリカに住んで11年。
アメリカに来たばかりの時、出会った日本人に在米10年目だと言われた時には、「10年も住んでてすごい!もうアメリカ生活のプロ!」って思ったのだけど、在米10年目を超えてしまった私自身は、全くもってプロではない。。。
でも…
アメリカに来た時を0歳としたら、まだ11歳。
11歳というと、小学5,6年生。
思い返せば、11歳の頃は、いろんな葛藤があった気がする。
世の中にはいろいろな性格の人がいて、いろいろな家庭があることを知って、新しく学ぶことや挑戦も要求されて、馴染みにくい人や、馴染みにくい物事に直面することが多くあった。
そのたびに、戸惑いながらも、どうにか生き延びるために、試行錯誤していた。
時には、空回りして、時には疲れ果てて。
それを繰り返しながら、大人になって、30歳も近くなって初めて、社会に馴染めてきた…という実感を持ててきた…そんな気がする。
ということは、ざっと計算して、あと20年経つ頃には、私も、アメリカに馴染めてきた…と思える可能性もある…ということかな?
昨日の疲れがひどく残っているのは、久しぶりに長い間、太陽の光を浴びたことと、久しぶりに長い間、英語の雑談の中に居ながら、いつもながら思うように英語が出てこなかった…というのが大きいのだろうけれど…なんだか久しぶりに空回りした感も否めず、アメリカ独立記念日の花火の音を聞きながら、まだまだこの国には馴染めていないと実感してしまった…。
そんな時は、馴染み深い風景の写真を眺めて、素直に懐かしむ。
自分にも、馴染んだ場所があるのだと、思い出す。
自分は、そこで生き延びる術を知っていたのだと、思い出す。
まだまだアメリカ在住11歳。
時間をかけて、葛藤と試行錯誤を繰り返していくことができたら、その先に何かが見えてくる…
かな?
行ってみないと分からないから、まずは目指してみようか。
今日の写真は、一昨年の瀬戸内の海。