ミネハハクリーク(Minnehaha Creek)沿いで出会った、赤い花。
これが、英語名の由来。
※枢機卿とは、ローマ教皇の最高顧問。
[べにばなさわぎきょう]
「サワギキョウ」と呼ばれる植物は、どれも「有毒」ということで、こちらも例外なく「有毒植物」なのだそうな。とはいえ、ハミングバードが蜜を吸いに来たりするらしいので、「有害」というわけではなさそう。
学名
Lobelia Cardinalis
[ロベリア カーディナリス]
和名
紅花沢桔梗
[べにばなさわぎきょう]
- 開花時期:7月~9月
- 背の高さ:約30~150cm
Sep.1.2021 写真追加 |
- 花の大きさ:約2.5~4cm
- 花びらは筒状。先が5枚に分かれている。うち2枚は、横に広がり、間に釣り針のような形の花柱がある。
ところで、、、、
このCardinal Flowerについて検索していると、水槽に入れる水草(aquatic plant)として販売されているサイトが出てきた。
でも、出ている写真は、私が見たCardinal Flowerとは違う植物。
名前の間違いか、地域の慣習で、同じ名前で呼んでいるのかな?と思いながら、さらに検索していると、日本語でも英語でも、学名も、通称名も同じ名前で「水草」としていっぱい出て来るではないか…。
なんだ???
なんだ???
私がクリーク沿いで見たCardinal Flowerは、とがった葉っぱ。
でも、「水草」として出て来る写真では、丸い葉っぱ。
葉の質感も、雰囲気も全く違っていて、どうみても同じ植物には見えない。
どういうことだ??
確かに、どのCardinal Flowerも、歩道の近くではなく、クリークの水際に生えていたので、水辺を好むのだなぁ…というのは分かる。
けれど、あの真っ赤の花を咲かせた1mほどの高さの植物が、「水草」とは到底思えない。
どうしても、腑に落ちず、さらに検索しているとあるサイトを発見。
(見つけたサイトはこちら:外部リンク(株)東京アクアガーデン アクアリウム情報サイト「トロピカ」)
そして、このように書いてあった。
水草の中には「水の外で育つ姿(水上葉)」と「水の中で育つ姿(水中葉)」が全く異なるものがある((株)東京アクアガーデン アクアリウム情報サイト「トロピカ」より引用)
えええ?
そもそも、水草って、水の外でも生きられるの?
しかも、水の中と外では、姿が変わる??
それって、まるで、カエル…!!
私、全く知らずに生きてきたけれど、これって…もしかして一般常識?
ともかく、とてもびっくり。
みなさん、ご存知でした?
もし実際に、丸い葉っぱの水草から、とがった葉っぱが育って、赤い花が咲く…というのを目にしたら、きっと感動するだろうなぁ…と思う。
植物というのは、奥が深いものなのだなぁ…とつくづく思わされる。
環境によって、姿を変える…。
水の中の姿も、水の外の姿も、姿は違っても、同じ植物であることに変りない。
と書きながら…
日本にいる時の自分自身と、アメリカにいる自分自身を、つい重ね合わせてしまった。
アメリカに来て12年。
今でも、日本に住んでいた時の自分と、アメリカに来てからの自分では、自分自身が、別人のように思える時がある。
アメリカにいる自分は、「本来の自分」ではない、と感じることも多い。
日本に生まれ育ち、サブローさんと出会うまでは、アメリカに住むことなど夢にも思わず過ごしてきた。
そんな私にとっては、「日本にいたときの自分」が「本来の自分」なのだ、と、つい感じてしまうことが多い。
そして、アメリカにいる期間が長くなるにつれ、日本にいる時の自分と、アメリカにいる時の自分の、どちらが本当の自分なのだろうか?と時々、分からなくなってしまうこともある。
…けれど…
果たして、日本にいる時の自分と、アメリカにいる時の自分の、どちらか一方だけが「本来の自分」だと、言えるものなのだろうか?
どちらも、それぞれの環境で、どうにも変えようのない、自分自身なのではないか??
本来の自分…本当の自分…って何なんだろう?
日本にいたときの自分。
アメリカにいる自分。
家の中での自分。
家の外での自分。
両親に見せる自分。
春子と太郎に見せる自分。
サブローさんに見せる自分。
なんだか全部違っているような気がする…。
これって…
軸がぶれている?
自分を見失っている?
でも、道徳心・物事の捉え方・考え方・信念・価値観といった、「自分の本質」となるようなものは、いつも変わらず自分の内面にある。
振る舞いを変えるつもりはないのに、結果的に、相手にはどうやら違って見えているわけだけど、「自分の本質」が確かにあれば、相手に見えている自分が、いつも同じでなくっても、いいんじゃないか?
自分が知っている自分自身の通りに、相手に見られなくっても、いいんじゃないか?
相手にどんな姿で写っても、「自分の本質」は変わらない。
この自分も、あの自分も。
やっぱり自分。。。
水の中と、水の外で、見える姿が変わっても、やっぱりCardinal Flowerであることには変わりない。