真夏日のミネソタ。
今週は36℃まで上がるらしいけれど、朝晩は20℃前後まで下がるのがミネソタ。
夕方は暗くなるまで温度が下がらないので、散歩に出かけるなら、朝早い時間。
朝はどうも動きが遅い春子と太郎を誘って、散歩に出かける。
いつもの散歩コースより、少し先まで歩くと、釣り用の桟橋がある。
船用の桟橋ではないので、ぐるりと柵がついている。
特に釣りをしなくても、桟橋の上を歩いてもよい。
桟橋なので、湖に突き出して、行き止まり。
行き止まったところで、青い空と、青い湖を眺めていると、まるで湖の真ん中に立っているような気分になる。
思えば「行き止まり」という言葉からは、どちらかというと、マイナスのイメージを抱くことが多い。
それ以上、もう先に進めない。もっと先に進みたいのに、進めない。
通り抜けたいのに、もう、そこで断念するしかない。。。そんな、「ない」「ない」「ない」という否定的なことを考える。。。
でも、、「行き止まり」って、そんなに悪いのか?
そこから先へは進めないからこそ、得られる、安心感。
もはや、選択肢に迷うこともない。
今、与えられている、限られた条件の中で、できることを見つける。
楽しめることを見つける。
感動と感謝を見つける。
空を見上げれば、雲一つない青い空。
目の前には、青く澄んだ湖。
与えられた、限られた条件の、行き止まりのその場所でしか、見えない風景を眺めながら、、、ふと、おばあちゃんの言葉を思い出す。
何事もなるようにしかならない。その不足を言うのでなく、物事は思うようにはならないものであるから、その状況を受け止めて、生かされていること、その与えられた状況を受け止め、ありがたいと思うこと。できないことはあって仕方ない。でも、助けてくれる人が居て、ありがたいと思うこと。祈って、拝んでくれる人があることに、ありがたいと思うこと。頂いたおかげを、ありがたく大切にすること。
桟橋の行き止まりの場所から振り返ると、桟橋の出入り口で、私と太郎を待っている、春子が見えた。
もう通った道でも、進んでいく向きが違えば、また違う風景が見えるというもの。
釣り用の桟橋に立ち寄りながら、その場所での風景を楽しんだら、また向きを変えて、散歩の続き。。。
もと来た道を歩くもよし。
来た道とは反対側に行ってみるもよし。。。