日本はもう新年ですね。
ミネソタは、あと1時間ほどで新年。まだ2013年大晦日です。
ミネソタが新年になる前に、もう少しだけ、祖母のことを書かせてください。
12月31日に、祖母の葬儀が無事に終了しました。
私は残念ながら、参列できませんでしたが、日本時間で葬儀の時間には、ミネソタで静かに手を合わせました。
お葬式に出席できないということは、気持ちの区切りというのか、次の一歩のきっかけというのか、物事のけじめというのか・・・そういった何かを、祖母と時間を共有した人たちと一緒に、心の中に築くための「時」を持ち損なってしまったようで、想像していたよりも「苛酷」でした。
本当は、祖母に会って、最期のお別れをしたかった。
最後に祖母に会ったのは、前回日本に帰国した2012年6月。
1年半前。
実はその時、祖母と二人だけで台所に座って、長いこと話をしました。
普段はそんなに改まって二人だけで話をすることはないのだけれど、その時は、どうしても、私も祖母も、二人だけでゆっくり話がしたかった。。。
その日祖母は、
「次にあんたがアメリカから帰って来る時までは、たぶんおばあちゃんは生きられんじゃろうから、こうやってあんたと話をするのも今回が最後じゃなぁ。
おばあちゃんの最後の言葉じゃと思って受け取ってぇなぁ。」
と、笑顔で話し始めました。
笑顔で話してくれたおばあちゃんの話を、うんうんとうなずきながら、笑顔で聞いた私。
帰省を終えミネソタへ再び帰るため、故郷の駅を出た電車の中で、夫の傍で泣きながらノートに書き留めた、おばあちゃんの言葉。
「ありがたいと思うことを忘れず、誰かに拝んで頂いた、そのおかげを、ありがたく受け取り、そして、それを大事にすること。
おかげをいただいて、それをありがたく頂くことが大切。
何事もなるようにしかならない。
その不足を言うのでなく、物事は思うようにはならないものであるから、その状況を受け止めて、生かされていること、その与えられた状況を受け止め、ありがたいと思うこと。
できないことはあって仕方ない。
でも、助けてくれる人が居て、ありがたいと思うこと。
祈って、拝んでくれる人があることに、ありがたいと思うこと。
頂いたおかげを、ありがたく大切にすること。
働ける時は、しっかり働き、食べるものに気をつけ、体を動かし、そうできる全てのことにありがたいと思い、必要としてくれることに、ありがたいと思うこと。
その心を忘れず、あるがままを受け入れ、この土地の芯を持って、おかげをありがたく頂くこと。」
そして、
「あんたがどこにおってもなあ、ここで生まれたあんたの芯は、やっぱりこの土地にあるんよ。
おばあちゃんが、生きとる間は、ここで、あんたのことを拝んであげるからな」
最後に
「おばあちゃんが、死んでもなぁ、悲しんだらいけんで。
この今日のおばあちゃんと話したことを思い出して、おばあちゃんじゃと思うてぇなぁ。
今日は話せてよかったなぁ」と。
今生の別れでした。
あの日から、1年半。
生きていてくれました。
その後、私は子供を授かり、送った娘の写真や動画を見てくれました。
スカイプで話もできました。
ミネソタも、もう少しで新年です。
背筋を伸ばして、ありがたく、新年を迎えようと思います。