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2013年3月3日

渡米4周年。Four Years after Arriving in the U.S

備前焼の花瓶に生けた、バレンタインデーの花。
早くも3月。

家の中には、バレンタインデーに夫が買って来てくれた花がまだたくさんの花瓶に分けて生けてあります。


3月3日。
日本から夫と共に引っ越しして、丸4年が経ちました。

アメリカに4年住んでみて分かったことは、定住の月日が長くなればなるほど、「外国」が「外国」でなくなっていく・・・ということ。

実際「今、外国に住んでいる」なんていう実感はさっぱりありません。。。
単にこれは「慣れた」ってことでしょう・・・。
どんなに便利で機能の優れた携帯電話やパソコンでも、新しく買い替えた時にはどうも使い勝手の悪いもの。
でも、慣れればうまく使いこなせるようになる。
使いこなせない機能がたくさんあっても、とりあえず、日常で必要な機能は快適に使いこなせる。
「外国に住む」というのも、それと似ている気がします。
日本国内での引っ越しでも、住む場所が変わる、ということは慣れるまでは不便を感じて当たり前なので、外国に限らず、引っ越しというものはそういうものかもしれません。
外国の場合は、慣れるのに時間がちょっと余分にかかるだけの違いかな?
いや、むしろ、「違って当たり前」と分かっている分、日本国内の引っ越しよりも簡単に受け入れられることも多いかも?

さて、この4年を振り返って、何が変わったかな?


未だに下手な英語でも、必要ならばとにかく堂々としゃべってみるということは、自然にできるようになったかな?

引っ越し当初と比べて目に見えて変わったのは、家の中に物が増えたこと。
生活するということは、無駄を省いて、シンプルに生活しているつもりでも、物がどんどん増えますね。。。

では、内面は?

自分が日本人であるということを、あまり意識しなくなったことかな?
もちろん、日本人としての誇りは持ち続けているし、これから先何年アメリカに住んでも日本人であることには変わりないのだけど。
ただ、「日本人」という大きなひとくくりの中に自分がいるのではなくて、その前に「私は私」という意識?が大きくあるということかな?
歳を重ねて、ちょっと自己中心的になってきているせいかもしれませんが・・・。

ただ、いろいろな決断や判断の基準が「私は日本人だから」というある種の「こだわり」からではなくて、「私」という個人として判断・決断するということが、頑張らなくてもできるようになった気が・・・・。
いや、当たり前のことで、きっと昔からそうして決断してきたんだろうけど、アメリカに居ても、人から「日本人」として見られている、ということを意識しなくなった・・・ということかな?

少々支離滅裂でよくわかりませんが、、、、要は、自分に自信を持って歩んでいる、ということなんでしょうね?たぶん。

かっこよく聞こえるけれど、実際のところは、知識や経験の充実から生まれる「自信」ではなく、「選択・判断・決断」を迫られた時に自分の「勘」を信じる、という・・・なんとも野性的な「自信」です。

日本に住んでいる時には、きっと知らず知らずの内に、控えめにしてきた種類の「自信」かも?
ま、良く言えば「おおらか」、悪く言えば「大雑把」になってきた証拠でしょうね。。。

さてさて、来年の今頃は、どんな生活を送っているでしょうか?
ますます大雑把になっているのでしょうか?

いくら、大胆に大雑把になっても、日本人ならではの、控えめな繊細さも持ち合わせていたいものです。。。

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